過去を持つ人
今朝、通勤バスの中で読み終わる。買ったのが8月中旬なので、2月半かかったことになる。ハードカバー・227頁。もっと前から読んでいたような、随分時間がかかった気がしている。
荒川洋二の本を最初に読んだのは、同じみすず書房の「夜のある町で」。′98年7月出版。僕が働き始めて5年目の頃だ。読んだのは少しあとかもしれない。新聞の書評を読んだのか、書店で見かけたのか、きっかけはよく思い出せない。以降、結婚する迄お金の自由のきく間に出たものは、ほとんど読んでいると思う。みすず書房から出ているものは何れも装丁が印象的(今回はニコラ・ド・スタールの《海辺の人物》とある。オレンジ色が鮮やかだ。)
おさめられているのは本や作家に関するエッセイ。あくまで僕の感覚で、誰もが知ってるような作家・作品に触れたものもあれば、初めて聞く作家もある。最も印象に残ったのは「知ることの物語」と題された一編。益田勝実という人の『火山列島の思想』が紹介されている。講談社学術文庫からで、ここで触れられていなければ、たぶんずっと知ることはなかっただろう。
カバー裏表紙にも書かれているが、『読書という悪書』と題された一編にショーペンハウアーの言葉が引用されている。「書く力も資格もない者が書いた冗文や、からっぽ財布を満たそうと、からっぽ脳みそがひねり出した駄作は、書籍全体の九割にのぼる。」2013年8月11日付の毎日新聞に掲載された一文。ショーペンハウアーの言葉自身は、170年も前のものだ。
本の題名にもなっている『過去を持つ人』は高見順の転向について触れたもので、昨年1月の秩父下山田行きを記した一文から始まる唯一の書き下ろし連作『銅のしずく』中の一編。同じくこの連作中の一編である『文学像』からの一節「おおきなできごとのあとで、詩人や作家たちが、いわば文学特需の詩文を順風のなか量産したようすを見て、文学像を形成する人はどうか。あの日以後この国は変わった、私も目覚めたという人たちの一見すなおだが、よく見ると底の浅い単純な詩文。それらを批判的に見つめることは、単純なものに魅せられた読者にはできないだろう。」静かに、厳しく語られるこれらの言葉を、しっかりとかみしめたい。
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