ディア・ハンター

′78公開。当時小二の僕が知る由もない。中学の頃、以前も書いた映画好きの友人たちがよくこの映画の話をしていた。ルシアンルーレットのシーンのことだった。その後、主題曲であるカヴァティーナを聴きたくてサントラ版を買った。映画を見ていないのにサントラを買ってしまうことが時々ある。現代音楽家のスタンリー・マイヤース作の曲はじつは元々映画のために書かれたスコアではないそうだ。が、この作品の鎮魂曲意外のなにものでもない、そう思えてならない。昔、レンタルビデオ店でアルバイトをしていた頃、棚の中にこの作品が二本組で並んでいた。ジャケットは、オレンジ色のコートを着て猟銃を両手に取って佇むデ・ニーロのカットではなかったか。四半世紀前のまだDVDのない時代、3時間を超える大尺の作品は必然2本組となったのだろう。あの極小さな店、この作品がよくも置いてあったものだ。
その二本組の一本目になるだろうか、前半はベトナム戦争出征前の数日間が描かれる。出征前日、最後になるかもしれぬ鹿狩りの場面、マイケル(ロバート・デ・ニーロ)に射止められ倒れた鹿が向ける視線が、怒りか、恐怖か、悲しみか、或いは虚無なのか、心に残る。
鹿狩り後のシーンからふいに場面は移ってマイケルは戦場の草叢の中に横たわっている。戦場の場面は長くない。マイケルと友人であるミック、スティーブンとが戦場で再開した直後に爆発シーンがあり、その後三人は既に捕虜となっている。そして件のルシアンルーレットの場面となるのだが、このシーンが当時中学生の友人たちにどう写ったのだろう。いまこれを見る僕は言葉に尽くし難い。
以降、脱出劇と帰還後の話となる。ホバリングのスタントシーンはまさに命懸けの迫真さだ。CGではこうはいかないのではないか。帰還後の鹿狩りの場面、マイケルは、追い詰めた牡鹿と正面から対峙した後、その背後の景色に向かって銃を放つ。そして、OK?(満足か?)と呟き、叫ぶ。自らに向けた問いかけだろう。作中もっとも重要な場面なのだと思う。前半の瀕死の牡鹿の目と、この場面を挟んだ終盤、マイケルが再び向かったベトナムの地で対峙する、クリストファー・ウォーケン扮するミックの目とがシンクロする。正気を取り戻しかけた彼が、辛うじて残っていたその僅な正気を奮い起こし、元に戻ることのできない自分自身に引き金を引いたと見るべきだろうか。
今回この作品、故あって明け方4時から見始めた。7時過ぎ、下の子が起きてきてドキリとする。画面は米軍撤退を伝えるテレビニュースのシーンだった。もう少し早く起きてきていたら、などと妙にほっとしながらカーテンを開けると、すっかり明るくなった空が意識を現実へと引き戻すようだった。

リインの休日

一月ほど書いてみてタイトルをあらためました。劇場或いはDVDで見た映画や、読んだ本について書いています。(20170711ブログ名変更。人生という語が仰々しすぎて…)

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