フルメタル・ジャケット

日本公開されたのは’88年3月で、高一の終わり頃だ。今でも僕は映画ファンというほど映画は見ていないけれど、当時は(経済的理由で)もっと見てなかった。只、中学時代は映画マニアと呼ぶべき友人たちに囲まれ、彼らとラジオの映画音楽の番組、それと姉が時々買ってくるスクリーンやロードショウといった雑誌の影響で耳学問的に知識を得ていったように思う。その友人たちの一人と高校で同級となり、おそらく彼が話していたのだろう、この題名と、ベトナム戦争を描いた作品であることはずっと前から記憶にあった。

この夏ベトナム戦争を直接・間接的に描いた3本の作品を見るつもりでいた。なかなかその時間を得なかったが、昨日図書館のDVDコーナーでこの作品に見つけた。家族が寝た11時過ぎに起きて、先程観終わったばかりである。

タイトルのフルメタル・ジャケットとは弾丸の種類のひとつで、劇中では「完全被甲弾」と訳されている。弾心が金属で覆われて貫通性が高く、軍用ライフルで使用される。海兵隊の過酷な訓練で精神に異常を来した新兵が、鬼教官を射殺して自殺する直前、「銃に実弾が入っているのか?」という同期の主人公の問いに、“フル‥メタル‥ジャケット”と呟く。前半の訓練の場面で2発使われたこのフルメタルジャケット弾が、後半の実戦の場面で、ひたすら連射されるシーンが繰り返されていく。

ひきつった笑い。全編ユーモアと猥雑な台詞とが散りばめられ、ひきつった笑いを強要されているようだった。主人公を含めクレージーな奴ばかり。ただ、主人公のジョーカーは、敵・味方の死(体)に向き合う場面で深い表情を見せる。特にラストの、次々同期を射殺していった、敵であるベトナム人の少女から懇願され、とどめをさす場面は、炎を背景に彼の表情の陰影が長く映し出される。それだけが、救いのようだった。

(中井久夫の清陰星雨の中に、米国で続発する大量殺人の背景として、発砲率について説明するくだりがあったのを思い出す。第二次大戦迄の米国の発砲率は10~15%だったそうである。それが朝鮮戦争では55%に、ベトナム戦争では95%に向上(と云ってよいかどうか)した。発砲率の向上に採られたのは、残酷な戦闘場面のビデオを何時間も見せた後で、トマトジュースを充填したキャベツを頭にした人形を撃たせるという方法であったという。人の脳や心理はそんなに脆いものなのか、暗澹たる気持ちになった。)

エンドロールのバック、ストーンズだとは思っていたけど、そのときは曲名が出てこなかった。“ペイント・イット・ブラック(黒くぬれ!)”だったのか。

リインの休日

一月ほど書いてみてタイトルをあらためました。劇場或いはDVDで見た映画や、読んだ本について書いています。(20170711ブログ名変更。人生という語が仰々しすぎて…)

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